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徒然なるままにアリア

2021/09/26

2010年2月に私は青山にあったアリアコーポーレーション株式会社の門を叩きました。

当時私は、出版社で「LaDonna harajuku(ラドンナ原宿)」とい雑誌の担当をしていました。

若者の夢の発信地【原宿】をキーエリアとし、新たなファッションとカルチャーを紹介する雑誌で、新人モデルやアーティスト、クリエイターの募集、発掘などもやっていました。

素敵なオーデション写真を撮れるカメラマンはいないかな??というところで営業に行ったのです。

社長でありカメラマンのMARKの話しに今までにない共感と感動を覚え、急接近したのです。

その後、その出版社が買収された大ピンチな時に私はアリアコーポエーションに私は拾われたのです。

10年の月日が経ち、アリアは10月で写真チームが解散する事になリました。(アイベルセル東京ベイが閉店)

 

アリアを退職している私ですが、8月のアリア展にもなぜか写真が載って今もメンバーのように、みんなが仲良くしてくれて感謝しています。

 

MARKはアリアとして新規事業、他のメンバーは新しい会社(株)プライメリーを設立にカメラマンとして大きな舞台に立つ事になりました。

新しい時代にシフトするアリアファミリー、私もアリアと歩んだ10年間で人生をガラッと変えたきっかけで、若者と円満に過ごすコミニュケーションを学ぶ場でもありました。

それが今のKIKCAFEでの若者との交流につながったのかもしれません。

 

ここ数日、アリアとの思い出がグルグル頭を駆け巡っています。

今はKIKCAFEチーム平成で息子の方が多い環境ですが、アリア時代は娘が沢山いました。

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カメラマン集団の会社に入り、写真撮れないのは私とゆりちゃんは同じプロジェクトになりました。

初出勤日の朝礼でいきなりMARKにキャンキャン吠えついていたので、こりゃ大変だと思ったのですが、私はすぐからこのキャラが可愛くて大好きになりました。

311の夜を一緒に過ごし、不気味な風が吹いた青山のピーコックにお泊まり用のスパッツを買いに行った思い出。

ゆりちゃんと一緒にいた時に息子の大学合格の電話を受けました。

その時、一緒に喜んでくれたゆりちゃんの笑顔が強烈に思い出に残っています。

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カメラも使えない私がアリアに入り、最初はアウエィ 感が半端じゃなく、みんなと年齢も違うので、どう親しくなれるのか常にモヤモヤしていました。

その時のTOMOKOの存在は大きかったです。

ゆりちゃんとは性格は真逆。

話し方も何もかもがノンビリしている不思議ちゃんキャラが癒し系でした。

一緒に営業に出かけ、一緒にアリア人脈を作り上げたナイスな相方です。

私がアリア最終日になった大きなイベント(心労で人生初仕事で泣いたイベント)の後に私をサポートしてくれた社長仲間とサプライズパーティーを開催してくれたのもTOMOKOなのです。

その嬉しさから私はサプライズが大好きになり、あちこちで仕掛けるのが趣味になりました。

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HITOMIは当時既に人気カメラマンでした。

職種が違うから他の2人よりは過ごす時間は少なかったけれど、合間合間に彼氏(今旦那さん)を紹介してくれたり、色々私は相談に乗っっていました。

プロ意識が強く、スタジオでテンションが下がっていても、HITOMIはお客さんが来ると女優スイッチのように満面の笑顔になる姿はすごかったです。

退職した後に「MEGUさんの写真撮ってあげる」って一緒の横浜を沢山歩いたのも良き思い出です。

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一番よく遊んだのは311の時に一緒にスタジオで寝たAKKOちゃん。

京都旅行や横浜のホテルでお泊まりしたり、とにかくよく語り合いました。

KIKCAFEの仲間ともお出かけしたり、お互い色々良い時辛い時は支え合った関係なのです。

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よくKIKCAFEから引っ越して行った人達をKIKCAFE卒業なんて言葉を使うと、「ここ学校?」なんて突っ込まれてしまうのですが、アリアの仲間もそんな感じ何します。

お年頃の娘達だったので、みんなママになったり地元に帰ったりして頻繁には会えなくなったけど、何年経っても同窓会みたいに自然会える関係が好き。

同じ屋根の下、喜び、苦しみを分かち合い、時々派手な喧嘩もしたり・・・・。

本物の家族と全く変わらない関係です。

 

KIKCAFEは社員ではなく、オーナーとお客様の関係だけど、やっぱりアリアに似ている。

お客様とKIKCAFEを一緒に作っていく、同志達そんな感覚なのです。

 

 

この話しはつづく

 

KIKCAFE

横浜市保土ヶ谷区岩井町29-4

045-334-1114